Riske's blog

ただの日記です。

ちょっと遅れた感があるけど…ティム・クックさんのニュースを聞いて考えたこと。

Family love
Family love / Takashi(aes256)


ども、りすけデス。

AppleのCEO、ティム・クック氏が同性愛者であることをカムアウトした記事が世界を飛び回った時からちょっと時間が経ってしまったんだけど、自分なりに考えた(いや考えてた、かな)ことがずっと頭の中にあるので、それを今日は文章にしてみよーかと。上手くまとめられる気はしないんだけど(^_^;)←じゃーやめろよw

 このニュース、知らないヒトがいるかもしれないんで一応リンク貼っときます。


ティム・クック氏「同性愛者であることは、神からの贈り物だ」 AppleのCEOがゲイをカミングアウト


ワタシ個人的な意見としては、異性愛であろうが同性愛であろうが別にどっちでもいいと思ってます。それは投げやりなイミじゃなくて、どんな形であろうが愛は愛だと思ってます。当人同士、深い愛情で結ばれているのであれば、それは誰にもとやかく言われる筋合いなどないし。(ただし、その「愛」が誰か他の人を傷つけるものであったり迷惑をかけるものであれば、考えなければならないこともある、とも思ってます)

そんなワタシなので、たまに目にする記事等で(あまりネットの中を歩き回らないので(←体力がないからねぇ)ネガティブ記事はなるべく避けるよーにしてる)同性愛を否定する理由として「神の意思に逆らう」みたいなことを書いてたりするけど、この場合の「神」って何だよ?って思っちゃうんだよね。なに?ひたすら生殖活動して個体数増やすってのが「神」とやらが生物に与えた使命だとでも言うの?って。(宗教観については、また別の機会に書こうと思ってマス)

地球上にはそれこそ、いろんな生物がいるワケで。確かにどの生物も子孫を残す為に様々な努力をしている。だから「生きる目的=子孫を残す」って思ってる人もたくさんいるだろうし、居て当然だしな、とも思う。

でもちょっと待って。じゃあさ、個体数が異常に増えた種ってどうなってる?って考えると、ほとんどがその後に大量死したりして個体数を減らす。これは生物学上ごくごく当たり前のこと。(大量死の原因は様々で、餌が無くなってしまうことが一番大きいのかも。「集団自殺する」って有名だったレミング*1も決して自分の意思で死のうと思っているワケじゃないみたい)

このことを考えると「神」とやらは生物に対して”とにかく個体数を増やしまくれ!”とは言ってない、って思えるんだよね。それは地球上の生物、どの種に対しても同じこと。「人間サマ」だけが違う、なんて思ってる人がいるんだとしたら、それはとんでもなく驕り高ぶった考え。しかも多くの他の生物を絶滅に追いやってる数の多いこと!それは決して「自然淘汰」の部類に入ることじゃない、っていうのはちょっと考えただけでもわかることだと思う。

人間というのは、自分の身体を環境に適応させるっていう他の大多数の生物と違って「環境を自分たちに合わせる(変化させる)」ワケです。だから他の生物が生きる場所を失っていって、しまいにゃ絶滅しちゃったりするワケですよ。地球に住んでるのは人間だけなのかよ、おい!?って話です。

…なんかだんだん話がズレてきたよね…ちょっと元に戻そうか(^_^;)

で、ワタシが何を言いたいのか、というと。産めよ増やせよばかりが人間(生物)の使命じゃないよ、ってことです。とある宗教では同性愛を認めてないとかあるけど、別に「神」に逆らってるワケじゃない。いや、その「宗教の神」には逆らってる、ってだけの話かな。

異性愛で認められて婚姻したカップルでも、子どもができないという悩みに直面することもある。じゃあそれは「神」に逆らってるのか?違うでしょ?

地球上に生きてる生物、いや存在するすべてのモノには何かしらの役目があるんだとワタシは思ってる。生殖活動で個体数を増やす・遺伝子を残す、という役目を持った「個体」は確かに多数派なんだろうけど「その遺伝子を未来に繋がない」という役目を負った「個体」もいる。居てしかるべきだと思う。

人間は脳を巨大化させて「進化」してきたワケだけど、おそらく今まで自然淘汰によって絶滅してきた生物たちと同じく(例えば身体の巨大化によって栄華を誇った恐竜とか)その一番の武器によって滅びるんだろうなとワタシは思ってる。医学の進化で様々な病気は治せるようになっていくだろうけど、精神的な病(脳の進化が最大の原因)だけは根絶不可能だろうな、と。あとは人間が地球を滅ぼすか、地球が人間を滅ぼすか…とかね。

また話がズレたけど(まあ誰も気にしてないだろな…)。いわゆる「少数派(マイノリティ)」とされて、時には区別されたり差別されたりしているモノたちもちゃんと役目を持って存在しているんですよ、ということを言いたかった。

それに、今現在マイノリティでも数十年・数百年・数千年後には多数派になっている可能性もイナメナイ。そんなことは誰にもわからない。(そんなに先に人間が存在しているかも、地球が存在しているのか、ということすらも。)

身体に障害を持った人たちもそう。ココロに障害を持った人たちもそう。「障害」って思ってるのは今だけかもしれない。

すっかり話があっちに追いやられてるティム・クックさんも(←自分で話を出しておいて、ワタシってば非道い…笑)こうおっしゃってます。

同性愛者であるがゆえに、マイノリティであることの意味をより深く理解し、別のマイノリティに属する人々が、日々どのような困難にぶつかっているかを知ることができた。そのおかげで、人の気持ちを思いやれるようになり、人生がより豊かなものになっている。ときにつらく、居心地の悪い思いをすることもあったが、あるがままに自らの道を歩み、逆境や偏見を克服する自信も得られた。サイのように厚くて丈夫な表皮も身についたが、AppleのCEOを務めるうえでは、それはとても役に立つ。

(ビジネスウィーク誌に寄せられた氏の手記より引用) 


人はみな心のどこかで常に「自分は多数派だ」と考えたいものなのだろうし、実際多数派なのかもしれないけれど、だからと言って少数派を否定する理由にはならないと思う。多数派が正しい、とは限らないことを、実は誰もが知ってるんじゃないのかな?と今の世の中を生きてきて思ったりもする。

個性重視の時代になってきてはいるけれど、やっぱりまだまだ偏見とか差別の目はなくならないよね。「個性」とは言ってもあくまでも「多数派の中での個性」でしかないような気がする。

実はワタシたちは「個」の集まりであって、誰一人として同じ個体はいない。”ねえねえ、あのヒト変わってるよね〜”って、当たり前じゃん!みたいな。何かにつけてその「個」に優劣つけて差別したがる輩が多いけど、何やってんだか…って思う。

人と比べて自分が劣ってる…と嘆いてるヒマがあったら、その劣ってるところだけ見るんじゃなくて、優れてるところを見つけて楽しんだほうがいい。その方がずっと有意義だ。

ワタシは自分が多数派だとか少数派だとかどっちでもいいんだけど(少数派でいたい、と思っている傾向はあるw)上で散々書いた「個体数を増やす」活動はしなかったので(笑)まあ、少数派ってことで。そのことも、自分で「この遺伝子を未来に残さない」と選んだつもりなんだけど、実はワタシ自身の遺伝子そのものがそれを望んだのかもしれないな、とすら思ってる。

結局、多数派であれ少数派であれ、他を思いやるココロを持ってこそ脳を巨大化させて進化した生物たる「人間サマ」なのではないだろうか。

…と、そんなことをツネヒゴロから考えているワタシでございました〜ヾ(*ΦωΦ)ノ ヒャッホゥ!(絶対に書き忘れたことがあると思うんで、後日ちょこちょこ書き足したりするかもしれない…)


あ、あとこれは参考までに(笑)。

レミング - Wikipedia

 

*1:集団移動の最中に「事故」で死ぬ個体が多数出るところからそういう説が出てきたらしい